古式綿打ちを保存しています。

江地時代に行われていた 唐弓による 綿打ちを継承しています。

中国・インドでの綿打ちを学んできました。

 

 

 

          もめんの話    

和綿   もめんの伝来   山上憶良    松尾芭蕉   ふとんのα波  オーガニックコットン

  私たちが日常お世話になっている身近なものには、木綿.コメ・ふとんなど多くのものがあります。

  人の肌に触れる繊維素材は木綿しかありません、なぜなら私たちは日ごろ何の違和感もなく四季を通じて『木綿』の下着を使っている事と、綿・羊毛・羽毛ふとんのほとんどが木綿で作られた布に入れられて使っているからです。

 時折、耳にする話で、藍染めされた木綿織物の絣や縞がとても日本的な布で、独自の文化として発達したように伝えられている事や、テレビのCMで『お箸の国だから』とか、わが国は瑞穂の国でコメを食べることは日本独特の文化であると、なんとなく考えている節が、私を含めた多くの人にあるようです。

 書くまでもないのですが箸は日本だけでなく、韓国・中国・ベトナムでも使う食習慣です、コメにいたっては箸を使う国だけでなく、アジア全域からヨーロッパのイタリア・フランス・スペインまで食べられて、人口割合からすればパンよりもかなり多くの人々に使われている食材といえます。

 ふとんについて言えば、アメリカ・オーストラリア・ヨーロッパでもFUTONとして知られるようになったそうですが、敷ふとんを例にすると綿のふとんは韓国をはじめ、中国・ミャンマー・インド・パキスタン・イラン・イラク・トルコそしてルーマニア・ハンガリーまで約30億人もの人々に使われている寝具の標準素材で、グローバル・スタンダードとも言えるのです。

 布の中にクッション材として綿を入れれば、気持ちの良い寝具になることは、文化の違いをも超える、人の共通した考えではないでしょうか。

 和綿が最近注目されつつあるようですが、和綿は日本原産の綿花ではなりません、和綿は江戸時代から日本の中で栽培されていた綿で、木綿とか草綿と呼ばれていたものです、江戸時代日本の各地で約70種ほどの綿花が栽培されていましたが、今では判らなくなってしまいました、そんな中、岐阜の清水芳夫さんがやっと伊豆大島で古い綿の種を見つけたのです、この綿は各地で糸紡ぎ用として栽培されています、和綿にも糸用になる綿が最上級で、ふとん綿のような硬めの綿は評価が低かったようです

和綿は江戸時代から作りつづけられた繊維植物ですが、アメリカ綿に比べて収穫量も少なく、繊維長も短いので非紡績綿と言われ続けて来ましたが、糸車やチャルカで糸を簡単に作ることが出来ます、ただし貴重品か?と問われればさほどではありません、元々はインド綿の系統で似たものは簡単に手に入ります、この綿でふとんを作ると驚くような価格になりますが、価格と使い心地はまったく別です、和綿でもインド綿でもふとんは、作る職人の腕次第で、天と地ほどの差が出ます、しかし、和綿で糸を紡ぐととても風合いの良い糸になり、布になるのが不思議です

和綿の中でも、ある日突然在来種として出現した綿もあると聞きますが、江戸時代の綿栽培は毎年豊作にはならず、一部地域では全滅するような場合があると近郷や遠隔地の栽培地域から用途に向いた綿の種を買い求めて栽培したので、それぞれの地域が性質の似ている綿を栽培した事も想像する事が出来ます、綿は季候や風土によって出来る綿花に違いが出ますので、糸や布にしたい場合は是非、適した綿の種を見つけて栽培して下さい、糸用ならば知多市歴史民俗博物館で栽培している綿をお勧めします

日本のふとんについて言えば、敷ふとんと掛ふとんでは発達過程がそれぞれ異なっているのです。

そのため敷ふとんには腰の強いインド綿を中心とした綿、掛ふとんには柔らかなメキシコ綿を中心とした綿を使用し、すばらしい仕立技術で作ると、とても寝心地のよいふとんになるのです。

  敷ふとんは土や板の間の上に敷くござや筵(ムシロ)のような薄い敷物から、より使い心地の良さを求めて厚みを持った畳へと変化を重ね、ついには畳の上に布でできた敷ふとん状の物から、布の中にクッション材を入れた今のふとんへと発達をしたのです。

百人一首の中に摂政藤原良経が詠んだ『きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに ころも片敷き ひとりかも寝む』からも平安時代の敷ふとんとについて知ることができます。

  一方掛ふとんについては、万葉歌人で知られる山上憶良の『貧窮問答の歌』の中に「わたしのような立派な者は、寒い夜には布肩衣を有るだけ掛けて、寒さを凌ぐことができるが、貧しい人々は綿もない布肩衣で、海草のようにぼろぼろに破れたものを掛けたり、土の上にワラを敷いて寝ている……」と書かれているように、昼間着ていた着物を夜は体に掛けて寝ていたようです。

『奥の細道』を書いた松尾芭蕉は奥州の旅に「紙衾(カミブスマ)」と呼ばれる折りたたみのできる、紙製の掛け布団を持っていたと知られています。

  今、私たちが使っている布団は長方形ですが関東以北では夜着「掻巻(カイマキ)」と呼ばれる大きな着物に綿をたくさん入れた寝具を、江戸時代から伝統的に今でも使っている人が多くいます。

  私たちの周りを見渡すと、日本的だと思っている物の大半が実は外国からの移入であると言えるのです。

 綿種が西暦799年(延暦18年)に日本に伝わってから1200年ですが、木綿は日本に伝わってから、なかなか庶民の手には届きませんでした、栽培方法が、判らなかったのでしょう、しかし、栽培技術と木綿製造技術伝えられて、江戸時代になると広く栽培されて、多くの人々を暑さ寒さから身を守る為に利用されたのです。

799年に綿の種を伝えたのは崑崙(コンロン)人と呼ばれた人です、この人は自分を天竺人と言ったとモノの本に書いてありますが、これはインド人ではなく私の調べたところでは漢字を理解していた、今のベトナム近郊の漁師だった可能性が高いのです

 江戸時代庶民はもめんの布を着るように定められたのが『慶安のお触れ書き』です。
その頃にはもめんの良さが知られ、もめん綿のフトンも使われるようになりましたが、この時代フトンはとても値が高くて一般庶民は使うことが出来ませんでした。
庶民がもめん綿のフトンが使えるようになったのは、明治になって外国から安い綿花が輸入されるようになってからです。

もめんは、せんいの中でとくに「肌ざわりのよさ」に優れています。 赤ちやんやアレルギー体質の方のデリケートな肌も、もめんはやさしく包んで刺激することはありません。
静電気をおこさず、人にやさしい、天然の植物せんいです。

もめん綿でオーガニックコットンが最近注目されています、栽培方法は評価できますが、綿の繊維にはアレルギーやアトピーを治す力は絶対にありません、もし、オーガニックコットンがアレルギーやアトピーを治すと言ったり、表示している人がいたら信用の出来ない証と思って下さい。

オーガニックコットンの気になる点は、栽培には科学薬品などを使わずに栽培しているようですが、その栽培方法や過程ではCO2の排出量がとても多い大規模な農業機械を使っている点です、地球環境に良いものは普及させなければ、次世代の人類に環境負荷を残す事になります、しかし、そのために環境を汚す方法であってはならないのです、今オーガニックコットンが商業ベースで一人歩きをしだして、100%のオーガニックコットンでなければ意味の無い商品が出ているのも心配です、過度にオーガニックコットンに免罪符を与えるのは危険です、少しでも環境を良くする為ならば、綿のリサイクルの『綿の打ち直し』の方が理に叶っていると私は思っています

もめんの肌着が汗を良く吸収し、肌にさわやかな感触を与えてくれることはご存じですね。もめんは、わたしたちが眠っている間に放出する、コップ1~2杯分の水分を吸収してくれます。吸った水分は、天気の良い日に日干しすると、太陽の力でサラッと、ふっくらと戻ります、日に干したふとんは干し草の香りがしますが、この香りには人が眠るときα波を出すことが知られています、これはもめんが人に優しい繊維の証明です。